ノーベル文学賞とボブ・ディランさん
2016年のノーベル文学賞が発表になりました。
速報で、「ボブ・ディランさん受賞」と出たとき、
ボブ・ディラン?と首を傾げてしまいました。
ボブ・ディランって、あの答えは風に舞っているボブ・ディラン?
そう、そのボブ・ディランでした。
ノーベル平和賞と文学賞は政治性、恣意性が強い賞ですが、
平和賞と比べて、文学賞はもっとミクロで、ノーベル委員会の
人を食ったような態度がなかなか面白いです。
だから話題として、今年はどう言う理由で、誰が受賞するのか、
というのが結構面白い。そして、日本という狭い枠の中での議論ではないので、
そこが良いと思います。
ボブ・ディランさんの受賞には賛否両論あって、好意的な人もいれば、
辛辣な批判をしている人もいますが、個人的にはこの受賞、良いと思います。
批判の理由の一つでもある、ノーベル賞の権威を否定するものだ、というのが
その良さの一つであることが皮肉でもありますが、そもそも文学は体制や権威を
否定するのも一つの役割なので、それは理由にさえなれ、批判には当たらないのでは
ないかと思います。
そもそも、ノーベル賞なんてそんなものです。
あまりにノーベル賞の権威に踊らされる世界を食ってかかるような
ノーベル委員会の態度、結構ロックな感じです。
受賞の理由?友よ、答えは風に舞っている。
ノーベル文学賞と村上春樹さん
本日2016年10月13日は、ノーベル文学賞の発表の日。
毎年、村上春樹さんが受賞するのでは?という記事をいろんなところで
目にするのですが、今年はあまり見かけない様な気がしました。
賭け事が大好きなイギリスでのオッズが毎年上位にくるので、
日本でも話題になるのですが、今年の静けさがちょっと気になります。
熱心な読者としては、別に受賞してもしなくてもどちらでも良いと思っていますが、
本人もそれ程関心はないようです。
もっとも、毎年話題になり面倒なので、貰えるならさっさと受賞して、煩わしさから解放されたい、
というのが本心の様ですが。
読者からすると、受賞することによって、創作に支障がでると嫌だなとは
思いますが、影響がないならば、受賞して、日本文壇に一石投じてもらうのも
良いかもしれません。
何だか芥川賞の世界とかを見ていると、小さな世界でちまちまと
馴れ合いをしているような気がするので。
登竜門であることは分かるのですが、作家はもっと意識するべきものが
他にあるのではないかと思います。
さて、今年の受賞は誰でしょう。
ウィスキーでも飲みながら結果を見てみたいと思います。
走る場所~ハワイ ダイヤモンドヘッド
走る場所のことを書いていたら、いろいろとコースを思いだすことになりました。
やはり走っているときはいろんなことを考えたり、思ったりしているのですね。コースとともにその時考えていたことを思いだしたりします。
ランニングの最も良い点は、シューズさえあれば、旅行先でも出張先でも時間を見つけて走れることだと僕は思っています。ふと空いた時間を見つけて、ホテルの周辺を走ってみる。治安の問題さえなければとても楽しいものです。
ハワイのオアフ島に行った折、ワイキキビーチからダイヤモンドヘッドまでトレイルをしました。ダイヤモンドヘッドの麓からは人か多いと、ちょっと走るのは迷惑なので歩きましたが、ワイキキから麓までも7~8キロはあるのではないかと思うので、往復すると良い運動になります。
「走りながらワイキキビーチを眺める。tattooを入れている人が溢れているのを見ると、日本でいろいろと議論の種になるのが嘘みたいに思える。
途中通り雨に会い、ガジュマルの木の下で雨宿り。大きな煙の様な雲が数分で去って行き、太くて大きな虹が掛かる。
ダイヤモンドヘッドの中腹で丘の向こうにノースショアが見えてくる。あちら側の存在を忘れていたな。
頂上に登ると景色がいい。
やっぱり旅は良いものだ。(2016/1/6)」
選挙に行こう!
猪瀬前都知事の辞任に伴う都知事選。各候補が揃いましたが、今回の選挙はインターネットの使用が大幅に緩和された初めての都知事選となりました。インターネットを駆使している候補者がどこまで戦えるか楽しみです。
さて、今日の結論ですが、消費税の動向や、原発の行方等いろいろな政策がありますが、仮に政策が自分の意図に合わないものになった場合、選挙に行かなかった人は、文句を言う権利がないということです。
自分の投票した人が当選しなかった場合、政策が実現しないじゃないか。というロジックは分かります。でもだからといって投票に行くのが無意味だから投票には行かないというロジックには飛躍があります。当選することが命題の立候補者は当然有権者の年齢、性別、政治信条の分布を見てマーケッティングをしてきます。その時に自分が投票していないと、自分が所属するグループの票が落ち、政治に自分の意見が反映されにくくなる可能性が高くなります。
と、あまりに当たり前のロジックですが、これは民主主義の原理ですので、例え結果が伴わなくても、自分が応援する人に投票しましょう。応援できる人が居なければ、白票でも意思表示になると思います。
投票に行こう!
候補者の家入一真氏の本
Book
リーダーシップの重要性
何故リーダーシップが重要か
リーダーの不足
時代の要請
伊賀泰代さんの「採用基準」を読みました。この本は、氏が勤務していたマッキンゼーをストーリーの中心として記述が進みますが、話のコアはリーダーの必要性、何故リーダーシップが特に今の日本で必要かを考察しています。
本書では、リーダーシップとは、自分の前にある事象を自らの問題として対応していくことと捉えています。確かに一人で働くときはもちろんのこと、組織で働くときもこの当事者意識を持って事案に対応することが重要性になります。例えば、チームを組んで仕事をするときに、当事者意識のないメンバーがいると、いろいろな批判やリスク分析はするかもしれませんが、物事の解決に向かい難くなります。自分の課題として捉えていないので、目標の達成をするかしないかには興味が薄くなるためです。一方、チームの構成員がすべてリーダーシップを持っていれば、最終的な方向性の決定はリーダーが行うとしても、一つ一つの課題に対してはリーダーシップを持ったメンバーが判断し解決していくために、最終的な目標の達成に近づきやすいということになります。
では何故、今の日本で特にリーダーシップが必要になるのか、それは次の理由によるものと考えられます。
先ずは、そもそも日本にリーダーの絶対数が少ないこと。進展国から先進国に進む過程で日本は高度経済成長にも支えられ、資本を作り出す中央集権的な仕組みを作り上げました。この過程では、少ないリーダーが決定を行い、それをメンバーが実行さえすれば成功し易いという構造になっていました。よって、リーダーシップを持つことよりは如何に決められたことを粛々とこなすかが重要でした。ところが、経済的発展も一通り終わり、画一的な発展から、多様性を持った制度が必要になり、各所でリーダーシップを取れる人材が急速に必要になったことが考えられます。
また、次に、世界の市場が繋がり始めたグローバル世界では、世界全体が市場になり、中央集権的な組織よりも、地域地域で的確な判断を行い、物事を決定できるリーダーが必要になったのです。これはインターネット的構造で、組織はトップダウンで全てを決めるよりも、意思決定をフラット適切に行う必要が出ているのです。グローバルでの経営判断を全て本社で行うことは、変化が早い現代の社会では大きなマイナスになりうるのです。
急速にリーダーシップを持った人材が必要になったのにも関わらず、人材教育も、意識改革も日本ではそれに対応出来てないのは明らかではないかと思います。
自己啓発全盛の日本の社会において、スキルという武器を得た後に、どのような態度で物事に対応するべきかということを学べる良書だと思います。
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